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岸英雄さんの思い出

昭和三九年広島商科大学に入学し、五月の連休も過ぎたある日、グラウンドの一番端に在るワンゲルの部室のドアを開けたのは、もう五〇年以上前の事となります。入部の意思を告げると、眼の大きな、顔が真っ黒に日焼けした人が対応してくれました。これが岸さんとの最初の出会いです。以来毎週土日は近郊の山に、夏秋冬春の合宿で、北は利尻礼文、南は屋久島とワンゲルにどっぷりと浸かった大学生活が始まり、その中で、岸さんと寝食を何日も共にする合宿が、いく度となくありました。夜、テントの中でロウソクの火を見ながら、又外で薪を燃やしながら、(当時は炊飯を薪でしていた)岸物語が始まります。ワンゲルは如何にあるべきか。はたまた人生は、時には、女性に関した話等々、この人の引出しは何処まで有るのか?感心しながら聞いていたものです。又、或る時の秋合宿で、生きているニワトリを山で、絞めて食べようと言う提案をされ、ニワトリの調達、及び絞めて解体の方法に苦労した覚えもあります。このように全ての面でアイディアが溢れ、後年芸北に、ワンゲル村を入手したのも、岸さんがおられてこそ出来たものと思います。ワンゲル部主将の岸さんより、次期主将を拝命した時は、なぜ私が?の疑問が頭の中を駆け巡りましたが、その任に沿うように努力したことは、私の若き日の貴重な体験となりました。卒業以来広島から出たことの無かった私は、岸さんが社長を務める岸工業に同期のものや後輩が入社した事も有り、度々酒席を共にして、岸物語を聞いたものです。二〇一五年一〇月に八〇名余を集めて開催されたワンゲル五五周年記念会にも肺に病をかかえながら元気な姿を見せ、皆と大いに語り合っておられました。二〇一六年四月には千代田の我家でワンゲル四・五期の者八名余が集い、その時も、酸素ボンベを傍らに置きながらも、車を自分で運転して来宅、とても病人には見えない様子でした。其の後入院されたとの事でお見舞いに行くと、意欲十分で安心していましたが、七月二七日に伺ったときには意識がかなり混濁しているようで、手を握り最後のお別れをしてきました。翌二八日に永眠されました。未だ信じられない想いで古い写真を見るとそこには、昭和三九年秋合宿大山山頂にての文字が、私の隣でトレードマークの消防団の帽子をかぶって笑う岸さんが居ます。これらの写真を見たり、合宿の資料をめくると改めて我々の心の中に開いた穴は埋めがたいものが有ります。各人の人生は、誰にも関与できない力によって操られている様で、誰にでも遅かれ早かれその日はやってきますが、それにしてもチョット早すぎましたね岸さん

広島商科大学ワンダーフォーゲル部OB
山本功